Written by Yuki Takemori

子どもを作るか作らないかの言い合いは、「分を弁える」と同じ方向性である

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いわく、

身の程を知るには、周囲を観察する暇な時間と、自身の才能に対する悲観的な評価と、社会的な立場を得た方が有利であるという打算的な損得勘定が必要なのである[1]

という。

私が思うに、このうちの「3.」が「子育てしているほうが偉い」という根拠になっているのだと思う。その理由は、子どもも彼女もいないので完全なる想像であるが、

子どもを産むと育てるという責任が発生し、それを果たすためには取り立てて収入や肩書はないものの、子どもより上の立場として親になることで家庭の内外ともに社会的な立場を得ることになるから

だと思う。これは母親だけでなく父親も同じである。なぜなら多くの場合、労働の対価としてもらった賃金や給料を配偶者や子どもを養うことに使うことになるから、父親も母親と同じく社会的な地位を得ることになるのである。

「日本だけでなく地球全体の環境が悪くなっているのだから人口はいっそ減ってもいい、また救うためであれば人口は減らした方がいい」という、「地球に最適な人口は実は25億人」という投稿や発言が現れて久しいが(後者はたしか2026年に入ってから)、それでも出生や子育てが話題となるのは、社会的な地位を得るための損得勘定に加えて、子どもがいることで一人でで歩いていても得たいが知れているという認定を得るための計算と、その心理を巧みに突いた計略と報道によるものだろう。

一方、経済的にも身体的にも精神的にも不自由がなくても「単に子どもは欲しくない」という人がいらっしゃる。本当にそう思っている人もいることであろうが、突き詰めてみると、私だけかもしれないが、

「自分の遺伝子を引き継がせたくない」ことを言い訳にして、失敗を子どもに打ち明けたり、自分の過去を知る人からそれを子どもに知らされることが怖い

ことがその理由と考えられる。これは理由というより単に、自分の失敗や過ちを思い出す瞬間を避け、また思い出したことから逃げるためという目的であると言える。

これは告白をしたことがなかったり、モテないこときっかけに拗らせたり、ストーカーやDVなどの悪事に走る人にも同じことが言える。なぜならば、したことはないけど恋愛は、相手が断った理由を何とかして、例えば泣きついてでも聞き出して教えてもらい、フラれたという事実を受けれることできちんと傷つき、どうにもできないところ諦めることではちゃんと回復したうえで、断られた理由を元にして、未来に向けて相手にふさわしくなるように改善する作業の積み重ねであるからだ。

例えばこれも下に置くリンクに詳細を書いているが、私の失敗の経験にも同じことが言える。好きだと思った人に「好き」と言わずに後をつけたり、周囲をウロチョロしたり、待ち伏せしたり、離れたとことからジーと見つめたりしたことがある。卑怯のことこの上ないし、ズルさ以前に気持ち悪い。

その結果は10年ほどたってからまとめるようにきた。簡単に書くと、イオンモールからの帰りのバスのことだ。当時私は慌てることが嫌いなわりにICカードを使うようにするなとどいった工夫を全くしない人間でした。そのため、ちゃんと払えるようにするために最後の人が降りるまで待っていたのですが、最後の人であることを確かめたうえで降りようとしたときに、効果音にすると、「キッ」と「ギラッ」を合わったような勢いと鋭さで睨みつけられたのである。その瞬間私はその気迫に気圧され、恐怖にのままに1秒たりとも目を合わせることができず、そしてせずに突き動かされるがままに目を反らすしか
できなかった。そのため確認こそしていないが、その一瞬の間だけでも捉えることができた目元と視線としっかりとした顔の輪郭から上記の例えで書いた女の人と同一人物であるとこれを書いている今でも思っている。恐怖を感じる間もなかったあの一瞬の出来事は今でもこうして共有し、私の失敗を他の人がしないようにしてほしいほどに今でも時折思い出す。

話を戻して、これも推測になるが、告白も恋愛のうちであり、別れた相手を追いかけないことがそのコツであるという。そのことからもう一度告白できる機会があるのであれば、本当にその後人生で二度とない貴重なことである。

たとえ拗らせたり悪事に走らなくてもこれを「いや、~」と言ってごまかすことも自身と結果からの回避や逃避なのである。「いや?いやって何?」と聞き返されたことはありませんか?

そうでなければ、それこそ「化粧で着飾ってもジジババは綺麗なジジババになるだけで若さは帰ってこない。だったら子育てで0からやり直すほうがいい」と言って、さっさと恋愛も結婚も子作りも子育てもとっくにしているはずである。

いずれにせよ子どもを作るか作らないかの言い合いはどちらにせよ身の程を知り、分を弁えることと同じく打算を基にしているのである。

■出典と参考資料

[1]森博嗣(2025)『つくねもハンバーグ』講談社,p.23.

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