Written by Yuki Takemori

情のない言葉に邪心はない。なぜなら計算がないからだ

ライフ


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これは38年生きてきて思うことで、勘いい人であれば、おそらくは幼稚園や保育園のときに気づき、小学校低学年のときにはそれが明確になっていることと思う。

この記事のたとえのために素材となったのは何年か前の新聞記事である。それは、見出しと内容をまとめると、

「私は出かけることが嫌いだ。なぜなら不便だからだ」

であった。

その人が言うところはもっともで、外出は不便であり、その不便さをどれだけ許容し、またそれを許容できるようにするための工夫、

  • 無自覚
  • 割り切り
  • 開き直り
  • 丸投げ

をし、条件を整えることが、外出を楽しく感じるための度合いなのだと思う。

さて、外出を不便であると感じることは、ある種の悲観さゆえに正しい認識であるといっていい。なぜなら外出はそれ自体が危険であり、実際日本では中世、平安期から室町期の時代は、当時の治安の悪さゆえに外出は合戦に赴くことと同じ覚悟でするものであり、たとえ死んでもそれは覚悟の上での自己責任であったのである。

現代であってもそれら不便さを許容することは変わりはない。

  • 盗みに遭う
  • 排泄
  • 飲食
  • 動物
  • 駐車、駐輪
  • 交通費

などなどの不便さを許容することが外出するための前提であると言える。

本記事の素材となった記事を、一見すると楽しみに水を差すようなあまのじゃくで情がないようにに見える記事というか発言にもかかわらず多くの人が最後まで読み、人によっては反発どころかむしろ朝もやや霧が晴れるような大納得したであろう理由が、これを書いた人に打算がないからだと観察される。

これと似て非なるものとして、「空気を読まない発言や行動」なるものがある。これは、実は誰よりも空気を読む、

  • 自分の立場
  • 場所
  • 相手

をすべて

どうあっても自分だけが損をしないように計算したうえで行っている

ことがゆえに「情のない言葉」と違うのである。

これは、棘のある言葉や冷水をかけるような発言が、実は内面の寂しさを見ないようにするために気を惹き、また反応する相手を選んでいることに現れているように見える。

それでなければ、飛躍はするが、無差別殺人を自称するものが実は歩きスマホなどで反撃しにくい人や逃げやすいようで逃げにくい日中の大通りに車で突っ込むといったパニックを起こす初動は取らないはずである。

これは私の中学校のときの失敗例でもあるのだが、殴り返してこない見た相手を選んで肩をグーで叩いたり押し倒したりしていじめ、その結果、我慢の限界を超えた相手が決闘を挑み、私が殴り、蹴り返される恐怖からなすすべもなく降伏し、自他ともに敗北した経験からも確かであると思う。

内容を少し詳しく書くと、自分より強い男子を避けて、不利になる女子には上記の行為をしなかったのである。これはまこと卑怯な行為で、高校入試の願書を提出に言ったときに後ろから「ユウキのことは誰も必要としないし、必要とする場所も存在しない」とかけられた言葉とそれに対して誰も弁護しなかったこと、私は「ああ、そうかよ」と返答することが精一杯で、そして現在実家暮らしの童貞ニートであることで現実となった。この詳細は書くと長くなるので文末に自己紹介のリンクを置く。

さて話を戻すと、他の国や地域の「情」のことは知らないから書かない、しかし日本でいう情は代償や責任なく見返りを受け取るための計算であると言える。これは、そのために脅すことなく気を惹くための最近のセールスの手口と見受けられる、例えば、

  • 「URの修理が終了したので玄関先での対応をお願いします」
  • 「光通信の速度が遅いとのクレームがあったのでお詫びに伺って回っております」

と同じであるといえる(ちなみ今筆者が住んでいる集合住宅では一階の住人にだけ訪問しているという。出典は母親)。ちなみにこの詳細とサインをしてしまったときの対応の例をまとめた記事を自己紹介のリンクの下に置いておく。

なお義理はこの逆で、「自分から出したのだから、相手も相応のものをくれるだろう」という、これもまた計算であると言える。

つまり、本当の意味での情のない言葉は、老婆心からの忠告や、どんなに不利になり、傷つき損をすることになったとしても「ダメなものはダメだ」と君主や主人をいさめる言葉や、「それさえしていればいいのだろう」に対して「それさえやらないと決めればいいのだろう」と考え、思いつく余地を与え、取りに行かせる言い方と同じく、そこには計算がないがゆえに実は人を傷つけたりしないのである。

蛇足になるが、ニッコロ・マキャベリが著わした『君主論』やラ・ロシュフコーが著わした『箴言集』が現在でも読み継がれているのは、おそらくだがこうした理由によるものだろう。

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