Written by Yuki Takemori

病やケガの以前からその人は開き直っている

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「だから何?」といって開き直る人がいて、またその反応に対して怒る人がいらっしゃる。感情と上下する血圧の話はここではしない。

開き直るために必要な条件は、観るかぎり

  • 1.取り返しがつくものは存在しないと知っておく
  • 2.それを自覚する

だけである。これだけであれば失敗を改善するための第一歩であり、むしろ良い。なぜなら謝罪は極端に言うと失敗した人が責任を果たさないようにするための鳴き声でしかなく、その時間稼ぎのためにすぎないからだ。「謝罪をするなら最初からしない」というよりも、「このやり方では間違える、失敗することがわかったからこそ謝罪の時間でやり直す」のほうが謝罪も含めて本当の時間短縮になる。

さて、ここで「私~だから」と言って開き直る人がいらっしゃる。その理由付けともとれるのは病気やケガ、性格や経緯などであり、多くの場合「苦手」や「怖さ」などが付随している。とはいえ、私が観るにその人はケガや病気を抱える以前に開き直っているとってもいい。なぜなら開き直るための理由の内容がそのときで違うというかその人が自覚の有無を問わずに変えているからだ。この場合、改善とその計画のために開き直るというよりも、自分が何もしなくていいことに対する確認の欲求を満たすためであるといえる。

例えば、「私はケガ人だから」であれば、まずスポーツをしなくてもいい。しない状態だからこそ失敗をしない。負けもしなければ相手をケガさせることもない。自他も含めて誰も傷つくことはないから誰も悪くならないし、なにより損をしない。

これだけであれば誰の血圧も乱高下しないだろう。お互いがなるべく会わないようにすれば実現するからだ。それでは開き直る人やその行動、「開き直る」という言葉を見たり聞いたりして怒るというよりは反応する、また反応するだけの人が何に反応しているのかというと、たぶん、恐怖から逃げる欲求を満たすために目先の快楽を身体の緊張に頼って選ぶ習慣にしているその人自身に対してであると思う。

ビンタや怒鳴り声、睨み顔など、何がその条件になっているのかは不明であるが、その結果身体に残った感情と便利に使われたことに対しての自己嫌悪、そしてそれを言い訳にすることで対策も改善もしないその人自身の事実を見ないようにするために反応しているといってもいい。

トラウマとも称される身体に残った感情や緊張はシステマのセミナーなどのちゃんとしたところで適切な指導の下で、痛みを自覚しきちんと回復してあなたをあなた自身で癒してもらうとして、まず、「その人は病やケガの以前から「しない」選択のための言い訳をしていて、失敗を認め、それを繰り替えさないための改善のための開き直りではない」ということを明確すればよい。

つまりその人は「開き直る」という言葉を聞いた人が勝手に想起し、反応することも含めて、そのときに言い訳のために利用できるのであればなんでもいいのであり、そのときはあなたで、別のあるときは病気であったというだけのことだ。